タイタニック号と共に沈んだバイオリン


タイタニックと共に沈んだバイオリン

























これは大西洋に沈んだ
豪華客船「タイタニック号」に乗船していた
楽団のバンドマスターが使っていたバイオリン。

このほど
英国・北アイルランドのベルファストにある
同沈没事故の博物館で展示されることになった。

バイオリンは、当時タイタニック号に
楽団のリーダーとして乗船していた
ウォレス・ハートレー氏のもので、
当時34歳だった婚約者からの
メッセージが刻まれているという。

1912年4月15日、
タイタニック号が北大西洋上で流氷に衝突した際、
救命ボートに群がる乗客たちを落ち着かせるため
ハートレー氏をはじめとする8人の楽団は
「主よ、御許に近づかん」 を演奏し、
そのまま演奏を続けながら死ぬことを選んだ。

元々このバイオリンは1910年に
ハートレー氏の婚約者マリア・ロビンソンさんが
記念の品として贈ったもので、バイオリンには
「ウォレスへ、婚約を記念してマリアより」
と刻まれた銀製の飾り板が取り付けられている。

ハートレー氏の遺体は
タイタニック号の沈没から10日後に収容され、
遺体に結びつけられていた皮製のバッグの中に
バイオリンが入っていたとみられている。

その後
バイオリンを引き取った婚約者のマリアさんは
生涯独身を貫き、1939年に死去。
マリアさんの家族が
地元の救世軍の楽団に寄付した後、
バイオリンはある音楽教師の手に渡ったという。

そして最終的に匿名の人物の手に委ねられ、
2006年に英国の民家で発見された。

バイオリンの鑑定は7年前に始まり、
今年3月にとうとう本物であることが確定した。

このバイオリンは
沈没事故に関する品々を集めた博物館
「タイタニック・ベルファスト」 にて
18日から来月13日まで展示された後、
来月19日には英南西部ウィルトシャー州で
オークションにかけられる予定となっている。




諸君は死の間際にどんな光景を思い描くだろうか?
死の間際に何をしていたいと思うのだろうか?
決して譲れない何かを持っているだろうか?

私はギタリストであると同時に
クラフトマンでもあるので、
自作のギターを抱えて最後の時を迎えたい。

愛すべき人が最後を看取ってくれたのなら
最高に幸せな人生だったと思えるだろう。

因みに私が製図から木材をガリガリ削り、
アルミの削り出しに挫折しそうになりながら
作っているギターはコレである ↓

①7弦ギター表

②7弦ギター裏

③7弦ギター ヘッド


完成するのは いつになることやら。。。

しかし、
このギターも いつか時間ができたら…
なんて思っていたら死ぬまで手を付けないだろう。

死はいつ訪れるか分からない。
だからこそ、今を精一杯生きるのだ。

次の週末は…
次の連休で…
時間ができたら…
いつかは…

そんなことを言っているうちに人生は終わる。

「やりたいことがあるなら今すぐやれ!」

これが私の信念でもある。

私も以前はやりたい事がたくさんあると、
1つのことが終わったら次のことを始める…
というスタイルで生活していた。

しかし、ある時を堺にそれを止め、
私はそこで始めて自分の性格と向き合ってみた。

私はソーシャルスタイルで言うと
アナリティカルタイプ、
加えて「 0 - 100 の 論理」を有した
蠍座の宿命を背負って生きてきた。

他人と比べると、
何かを始めるまでに長い準備期間が必要な上に
拘り過ぎて1つの事を完結させるのに
異常なくらい時間がかかるという性格。

つまり、1つの事が終わってから次の事を…
となると いつになるか分からない。

結局のところ、突き詰め過ぎて
いつまで経っても終わらないのだ。

それに気付いた私は
全てを並行展開していく術を身に付けた。

全てを時間で区切り、
いくつもの事を同時に考え、処理していく。

すると今まで何年もの間
手付かずだった事が次々と片付き、
やりたかった事に対しても
何かしらの答えが返ってくる。

例えば…
少し手間のかかるモノを作ろう!
と思っていたとしよう。

時間のない日々を送っていると、
連休まで放置するのが一般的だ。

初めて何かを作る時には、まず時間が読めない。
ゆえに先送りにしてしまいがちなのだ。

ここで、まず
「始めてしまう」
というのが重要な選択肢となる。

始めてしまえば その作業が
「どれくらいの時間を必要とするのか?」
が見えてくる。

もしかしたら案外、
簡単に終わってしまうかもしれない。

あるいは、そこで始めていなかったら
一生手を付けなかった と思うかもしれない。

そして、出来上がった後には
「自分が本当にそれを求めていたのか?」
という疑問に素直な答えが出ているはずだ。

「やっぱり作って良かった!」
と思えたのなら、
次に繋がる結果が得られたことになる。

2度目のトライは もっと効率よく
素晴らしい出来栄えになるよう、
計画的に取り組めるだろう。

もし、
「これは自分がやりたかった事じゃなかった」
と思ってしまったのなら、自分の人生において
1つの項目に決着がついたことになる。

いつまでも
「時間があったら…」
なんて思う必要もなくなるのだ。

いくつもの事を同時に考えるようになると
ボーっとしている時間もなくなる。

スマホで暇つぶしのような
どうでもいいアプリを立ち上げる必要もないのだ。

私からすれば
通勤中の電車で何かをする余裕などない。

考えなければならないことはいくらでもある。
溢れるくらいに…

のんびりボーッとする休日もいいが、
私の休日は
いつからか仕事よりも真剣で忙しくなった。

しかし、
その充実感は以前の休日とは比較にならない。

いくつもの 「やりたいこと」 を抱えていると、
その中でも自然と優先順位が生まれる。

結局のところ、手を出さない事というのは
「自分にとって あまり重要なことではなかった」
ということなのだ。

諸君にも
「時間に余裕ができたら取り組みたいこと」
の1つや2つくらいあるだろう。

今できることであるなら、
すぐにでも始めてみることをオススメする。

本当にどっぷりハマってしまうことなのか…
ただ、なんとなく気になっていただけなのか…

答えを出してしまえば次に繋がる時間が生まれる。

人生は短い。

諸君が思う
「時間ができたら…」
がいつ訪れるか教えようか?


そんな日は

「定年後」までやってこない



これが答えだ。

「老人になった自分にはできないこと」
を夢見ているなら今すぐ行動せよ。

ありふれた日常を粗末にするな。
生きていることを当たり前だと思うな。

人命の終焉など予測は不可能。

明日が来ないと分かっていたら
何かをしようと思うだろう?

そんな気持ちで日常を過ごせばいい。




明日の夜、


諸君は いつもと同じように


そこに居るのだろうか…?